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    ***

野営地に仮設置された医療所は騒然としていた。
ベッドの数が足らず、次々とテントの幕を上げて運び込まれてくる負傷兵達は床に隙間なく敷き詰められたの布の上に並べて寝かされていく。
ノックスは目の前でうめき声を上げる負傷兵に檄を飛ばしながら、ぱっくりと口を開けている傷口の縫合を、手早く済ませた。
麻酔が足りなくなてきていた。
他にも、不足のものが多い。
そもそも、怪我を治療できる人間、看病できる人間がこの場所には全く足りていなかった。
殲滅戦は思っていた以上に長引いていた。
「ノックス先生、マスタング少佐の出血が止まらないです!」
手伝いをしてくれている兵士がうろたえた声を上げた。
資格を持った者だけではどうにも人手が足りず、誰でも出来る仕事は軽傷で一時戦線を離れている兵士に手伝わせていたのだ。
ノックスは手を動かしながら小さく舌打ちして、声の方を振り返った。
「消毒して、新しい包帯に変えておいてやれ!やり方は教えただろうが!」
口調が荒くなってしまうのは、仕方が無い。
「は、はい。やってみます」
怒鳴られた兵士は返事をしてから、ベッドに横たわっているロイのシャツの襟元に手を掛た。
そういえば、消毒薬も、もうすぐ切れる。殲滅戦を仕切っている作戦指揮官にもそれは伝えた。
薬だけではない。物資も不足してきている。
水も、食料も。
それから――。
ノックスは頭の中で巡らせていた思考をいったん中断して、手を止めた。
「次の指示を」と、いつもならここでもう一度声が掛かっている所だからだ。
処置を任せた兵士の様子を伺いみて、ノックスは大きく溜息をついた。




眉間に皺を寄せて立ち上がり、背後から近づいて兵士の肩を鷲づかんでを押し退け、次の指示を与えた。
「ここは、もういい。マスタング少佐の処置は俺がするから、向こうを頼む」
「は…はい……分かりました」
兵士はもう一度ちらりとロイの寝姿を見てから、背中を向けてその場を離れた。
ノックスはもう一度息を吐いてから、ロイの傍らに腰を下ろす。
「よう。どんな具合だ?」
「……」
声を掛けると、うっすらと目を開けて、ロイがノックスを見上げた。
「……ノックス先生…ヒューズ、は……」
「あ?ああ!大丈夫だ。おまえさんより、ずっと軽傷だったよ、もう戦線に復帰してるだろ」
「……」
「――とにかく、おまえさんは、怪我なんかしないことだ。弱みは見せるな。こんな状態の戦場だ……何をされるか分からんぞ。足りないものが多くて、ここにいる全員が普通じゃなくなってきてる」
「……」
「おまえさんは、いろいろ考えすぎだ。とにかく…考えない事だ、今は――…迷うな」
「…同じ事を言う」
「何だ?」
「…いや…」
ノックスは消毒薬の瓶をあけて、ピンセットで摘んだ綿に薬液をしみこませた。
傷口に塗布すると、ロイが少し身じろいで眉を寄せた。
「…っ……」
痛みに耐える表情と押し殺した声を聞きながら、ノックスは三度目の息を吐いた。
先刻、ロイの胸元を開いたまま手を止めて、表情を変えて息を荒くしていた兵士は、おそらくロイのこの表情も見てしまったのだろう、と思った。
「とにかく、怪我はするな。よけいな手間が増えて困る」
「…すまない…」
「…仕事だからな。とにかく大事なものがあるなら、今はそれを守り通す事を考える事だ。そうすれば……戻れる」
「――そうして…戻っても…」
「…ん?」
「……いや、なんでもない」
ロイは目を閉じて、ノックスの背中を向けた。
ノックスはもう一度ロイに言葉を掛けようと口を開いたが、止めて、手早く傷を清潔なガーゼでおさえてから、包帯を変えた。
上掛けを肩までかけてやってから、ノックスは踵を返した。

    
***

ノックスが仕切っている仮医療所にしているテントに、いつものように怪我人が運び込まれてきた。
テントの幕が開いて、その男は入るなり悠然とテント内を見回した後、口元を少し吊り上げて笑ってから、ずかずかと中に入って来た。
ノックスは治療中であった兵士の傷口を手早く縫合しながら、その男が入るのを、さして興味もなく一瞥した後、内心「また増えやがった」と毒づきながら治療を続けていた。
男は処置中のノックスに近づいて、背後から声を掛けた。
第一声が、
「忙しそうですね、ドクター。しかし…よくこんな場所にいられますね」
だった。
ノックスは振り返りもせずに短く答えた。
「気にいらないなら、別の場所にいけ」
男はノックスの応答にが、どこかツボに入ったらしく、喉を鳴らして笑ってから、
「態度に問題があっても、腕はいいとお聞きしてますよ。私は、ゾルフ・J・キンブリー、紅蓮の錬金術師です」
さして興味も持っていなかった男が勝手に名乗った名を聞いて、ノックスは手を止めた。
この戦地で、その名を何度か耳にしていたのだ。
その非情で冷酷な力の振るい方は、早々によい戦果を上げて早々にこんな場所から撤退したいと思っている上層部の連中には至極評判がよかった。
時には敵を殲滅するさいに、仲間の兵士すら巻き込み「多少の犠牲は仕方ない」と、表情を変えずに口にしたという噂も聞いている。
「……ふう」
ノックスは一つ息を吐いてから、ゆくりと背後に立っている男を振り返った。
「何の用で来たんだ?」
「…面白い人ですね、怪我をしたから、ですが」
ノックスはキンブリーの立ち姿を上から下まで見通してから、
「……聞いてないか?ここは軽傷者は入れん。消毒薬を少しだけ分けてやるから、さっさと自分のテントに戻って、かすり傷に塗り込んどけ」
「聞いてますよ。かすり傷、を負ったので、一時前線から離れて、こちらの手伝いをしに来た、というわけです。そういう話になっていると聞きましたが?」
「………」
ノックスは暫く押し黙って考えていたが、処置中だった兵士が、急に喉をそらして呻き声を上げたので、
「……とにかく、こういった状況だからな、包帯の巻き方くらい知ってんだろう」
「……ふ。ええ、まあ、一応は」
「端から順番に変えてやってくれ、ガーゼをはがす時なんかは、ちゃんと丁寧にやれよ」
キンブリーは口元を上げて笑ってから、踵を返した。


キンブリーはノックスの傍らを離れてすぐに、テントの中心をずかずかと横断して、一番奥のベッドで、キンブリーとノックスのやりとりを最初から見ていたロイの元へと進んだ。
側まで歩いて傍らに立ち、自分を見上げているロイを蔑むように見下ろしてから笑って、遠慮もせずにベッドに腰を下ろした。
「何をやってるんですか?こんなところで」
「……」
「さぼってる暇なんて、私たちにはない筈ですけどねぇ…」
「……別に……」
言葉を返そうとして、ロイは声が出なかった。
「ふ…まあ、いいですけどね、あなたの姿が見えないんで…ちょっと様子を伺いに来たんですよ」
「!?」
腕を伸ばして、キンブリーはロイのシャツの襟を鷲掴んだ。
冷静な声の調子とは、うってかわった荒さでシャツの前を大きく開いて、二の腕の下まで、それを引き下ろした。
「……っ」
キンブリーは露になったロイの胸元から、腰、下腹の辺りまでを眺めてから、
「ああ、これは……結構な深手ですねぇ…全く、一体どうやったら国家錬金術師のあなたが、こんな怪我をするんですかね…」
「……」
目を反らして俯いたロイを、少し上の場所から見据えたままで、キンブリーはロイの腹に巻かれた包帯に手を掛けた。
「いつ、誰が…あなたにこんな怪我を負わせたんでしょうねぇ…」
「キンブリー、手を…」
「どんな風に?」
「はな…せ」
キンブリーはロイの肩を押さえ込んでベッドに体を押し付けてから、ロイの傷に巻かれている包帯を外した。
傷口に張り付いたようになっているガーゼを引きはぐように剥がしてから、声をたてずに目を閉じるロイの表情を視界にとらえたまま、消毒用の布を傷口にあてた。



「……っ…」
「……痛むみたいですねぇ…まだ、かなり…」
「……や、め…」
「弱みを、見せるからですよ…ここは?」
「――い…っ…」


「おい!何をやってるんだ!!」
テントの中に響いた怒鳴り声が、最初ノックスのものだと、ロイは気付かなかった。
ノックスが声を荒げるのを、今まで見た事がなかったからだった。
ロイの傷口を押さえていた手を止めて、キンブリーは悪びれもせずに答えた。
「何をって…手伝いですが」
キンブリーの答えに、ノックスはますます頭に血が上ったが、眉間に皺を寄せたまま無言でロイのベッドまで歩いて、キンブリーの手から血の滲んだ布を取り上げた。
「もういい!手伝いはいらん。一人でやれるから、今すぐ出て行け」
「……」
それまで常に酷薄な笑みを称えていたキンブリーの表情が、一瞬だけ険しくなった。
それも一瞬の事で、すぐに、
「分かりました。手伝いの兵士はいらないと、上にも報告しておきますが…?」
「―――構わん」
ノックスの返答に、それまで黙って二人を見上げていたロイが、言葉を挟もうと動いたのを、ノックスが手で制した。
「…分かりました」
ベッドから腰を上げて立ち上がり、大人しく背中を向けたキンブリーに、ノックスが声を掛ける。
「おい」
「何でしょうか?」
「消毒薬だ、持ってけ。ここにはもう来るなよ」
キンブリーはそれには答えずに、息を吐くようにして笑ってから、もう一度ロイに視線を投げた。
「では、くれぐれもお大事に。マスタング少佐」


「ったく…あああ…なんだこりゃぁ…傷が開いちまってるじゃねえか!」
「おい!痛いじゃないか、もうちょっとそっとやってくれ」
「…何でさっき、ちゃんとそう言わなかったんだ、気付くのが遅れたじゃねえか」
「……」
「痛い時は、ちゃんと痛いって言えよ、今みたいにな、ほら、終わりだ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!何するんだ!痛いじゃないか!!」
「また傷が開かねぇように、大人しく寝てろ!」
ノックスは立ち上がってロイに背中を向けてから、背後に気付かれないように小さく溜息を漏らした。



    ***

「先生、次の方お願いします」
眉間に濃い皺を寄せてノックスは右手を挙げて振って見せ、返事はそれで済ませた。
野営地の中のテントの一つを仮診療所にして、怪我人を治療しているのだが、連日運び込まれてくる負傷者の数は少なくなかった。
怪我の状態を見て、軽傷のものは治療を済ませるとすぐに自分のテントに追い返したが、すぐには戦闘に復帰させたくないと思う者は、このテントの中にいくつか用意した寝床で安静をとらせるようにしていた。
数日前からここで治療を続けているロイ・マスタングもその一人だった。
運びこまれてきたばかりの怪我人のベッドの傍らに腰を落として傷の程度を見ながら、ノックスは何度目かの息を吐いた。
ここ数日、このテントを出て行く人数より、入ってくる人数があきらかに増えていた。
手術を要する程の重傷は、ここではどうにもならない。すぐに設備の整った場所に送りたいが、物資の補給と同様、兵隊の補充も遅れている状況で、なかなか怪我人を送り返す許可が下りなかった。
一兵士ですらそんな状態であるから、錬金術を使える重要な戦力ともなると尚更だ。

出来れば、今負っている怪我を理由に、マスタングを強制退去させたいと考えていた。
しかし上からの許可が下りないだろうという事も、ノックスには分かっていた。

負傷者の治療の手を止めて、ノックスはテントの端のベッドに座っているマスタングに視線を移した。
マスタングが腰掛けたベッドの横に、先刻からずっと座っている男がいる。
マース・ヒューズ大尉だ。
数日前にマスタングと同時に負傷してテントに連れてこられたが、ヒューズの方は軽傷であったため、治療を済ませた後はいつものようにこのテントからさっさと追い出したのだった。
――が。
ノックスがもう一度ヒューズをテントに呼んで、今日一日手伝いをするように頼んだのだ。
少し視界を巡らせると、その中に入る距離でマスタングと過ごす結果になったここ数日間の間に、仕事以外の事で気を揉んだり、あせらされ腹立たされ、そして体は疲れきっているというのに熟睡できないという夜まで送らされてしまった結果、マスタングにはさっさと怪我を治して自分の視界の中から外れて貰おうと考えたのだ。
それには、自分から治ろうという気持ちを持つのが実は一番大事だ。
マスタングはヒューズ大尉を前にすると、まるで怪我など治ってしまっているかのように振舞っていた。
見栄なのか…それもあるだろうが、恐らくヒューズの存在がマスタングに力を与えているのだろうと、思う。
思惑通りだ、とノックスは密かに口の端をあげて笑った。



「……あんな顔も、ちゃんとできるんじゃねえか」
小さく呟く。
ノックスがこの数日間、一度も目にした事がない表情を、傍らにいる男に向けている。
この場所で。
こんな状況で。
一瞬でも、あんな顔が出来るのだ。
それがどれだけ凄い事かという事は、マスタングの性分を多少なりと理解していたノックスには、分かりすぎるくらいよく分かっていた。
ヒューズが傍らにいるだけで。
ふと、ノックスの眉間の皺が濃くなる。
何故か――何故だか分からないが、ほんの一瞬だけ、苛立った。
ほんの一瞬の事だが。

「ノックス先生」
「ん?」
「あの…すみません…包帯が…」
「あ?あ〜ああ。すまんすまん」
緩んで外れてしまった包帯をもう一度巻きなおしてから、
とにかく一日でも早く治って、ここを出て行ってもらわないと、気が散ってしまう出来事が多いのだ。仕事にも支障が出る。
ノックスは小さく舌打ちしてから、次の怪我人の治療の為に、立ち上がった。


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20060415〜20060426

                           戦地で   #1 ノックス医師の災難  (ヒューロイ←α+ノックス)